栃木県河内郡でご葬儀や永代供養のご相談なら星宮山見性寺にお問い合わせください

曹洞宗 星宮山 見性寺 曹洞宗 星宮山 見性寺

こんなお悩みございませんか?

  • 急な葬儀をお願いしたい
  • 葬儀の段取りがわからない
  • 曹洞宗のお寺を近くで探している
  • お寺に仏事の相談をしたい
  • お墓を受け継いでくれる人がいない
  • 子供に経済的な負担をかけたくない

全て、
見性寺がお応えします。

見性寺の葬儀

ご葬儀について

見性寺では故人様の生前の宗旨・宗派を問わず、ご葬儀のご依頼をお受けいたしますが、曹洞宗の儀礼に則ってご葬儀を執り行わせていただきます。

  • 事前にご家族やご親戚に宗派のご確認をお願い致します。

ご相談・ご質問

ご葬儀に関して、分からないことやご不安なことなど多々あると思いますが、段取りのことや費用のこと、今後のお付き合いについてなど、ご遺族様のご事情を考慮しながらご相談をお受けいたしますので、遠慮なく見性寺までお問い合わせください。

鐘楼

檀家について

ご依頼いただく際に、皆様が最もお気になさる項目の一つは寺院特有の「檀家」についてではないでしょうか。必ずしも入らなければいけない訳ではございませんが、ご依頼があれば年忌法要などのお手伝いもさせていただきます。

水屋

曹洞宗とは

曹洞宗は、坐禅を修行の基本とする、いわゆる「禅宗」の一つです。今から800年ほど前の鎌倉時代に、道元禅師(どうげんぜんじ)が正伝の仏法を中国から日本に伝え、瑩山禅師(けいざんぜんじ)が全国に広められ、曹洞宗の礎を築かれました。このお二方を両祖と申し上げ、お釈迦さま(釈迦牟尼仏)とともに、「一仏両祖(いちぶつりょうそ)」として仰ぎます。)

住職から皆さまへ

曹洞宗 星宮山 見性寺へようこそ

当山は、栃木県、上三川町(宇都宮市の南となり)にある曹洞宗の寺です。曹洞宗の修行の中心は坐禅です。曹洞宗の開祖道元禅師は「坐禅は安楽の法門なり」と言われました。坐禅は、長時間つらさに耐えて坐ったり、警策(きょうさく -木の棒-)で肩を叩かれる痛みを我慢したりする「苦行」ではありません。坐禅の基本は、姿勢を正し体を整えて坐ることです。体を整えて坐っていると、だんだん呼吸が整ってきます。体を整え呼吸を整えて坐っていると、だんだん心が整ってきます。整った心から、正しい言葉や正しい行いが生まれます。坐禅をすることによって、特別な力が得られるわけでも、病気が治るわけでもありません。しかし、たった5分でも、静かに坐っている間は、普段抱えている余計な荷物を下して、本来の自分に立ち返ることができます。寺をお参りして本堂で、朝お仏壇の前で、夜眠る前、たとえ短時間でも姿勢を正して静かに坐る時間をもってみませんか?

見性寺の4つの見どころ

見性寺の本堂

多くのお寺の本堂は南向き、あるいは東向きに建てられますが、見性寺の本堂は北向きです。御本尊様は、今この寺がある礎を築かれた、多功城の跡の方を向いているのです。また、観音様がおられる「補陀落(ふだらく-Potalaka)」は南の果てにあるとされ、観音様は南から私たちを見守ってくださっています。夏は涼しく、冬はとっても寒い本堂です。

本堂内

上三川七福神 毘沙門天

本堂の北東の角に、毘沙門天様をお祀りしています。毘沙門天は別名を「北方多聞天」ともいいます。仏さまを四方から護る「四天王」のおひとりで、北で仏様とその教えを護りながら、多くの教えを聞いておられます。足で、邪鬼 -私たちを誤ったところへ導く邪悪なもの- を踏みつけ、仏道 -正しい道- を歩む私たちを励ましてくださる神様です。上三川町の七つのお寺でお祀りしている「上三川七福神」のひとつです。

鐘楼

水子子育て地蔵尊

境内にお祀りしているお地蔵さまは「水子子育て地蔵尊」です。生まれてきた子供の健やかな成長を願う心と、生まれてくることができなかった「いのち」をいとおしむ心とは一つです。お子様のいる方も、これから子宝に恵まれる方も、水子への御供養を願う方も、どうぞお手を合わせてお参りし、お地蔵様に願いをかけましょう。

水屋

多功城主多功家累代の墓

境内墓地の一角には、町の文化財である「多功城主多功家累代の墓」があります。多功城は宝治2年(1248年)多功石見守宗朝によって築城されました。宇都宮城の南方の固めとして、多功の地が選ばれ、宇都宮第五代当主頼綱の四男宗朝がその使命を受けたといわれています。この墓所には初代より十四代綱賀まで、慶長2年(1597年)領地を没収されるまで349年間の城主の墓があります。墓塔はすべて宇都宮特産の石、大谷石造りの五輪塔で、鎌倉から室町時代の各時代にわたる12基と、その後に造りかえられた2基の合計14基が現存しています。

多功城主の墓

寺院の縁起

見性寺の歴史は、今を遡ること800年ほど前の鎌倉時代、建暦2年(西暦1212年)に始まります。源平の合戦で敗れた平家は滅亡します。九州を中心に活躍した有力な武将、平貞能(たいらのさだよし)の身にも危険が及びましたが、恩義ある宇都宮城主の嘆願により罪を許され、その身柄は宇都宮氏に預けられました。平貞能は出家し、一族の霊を供養するため数々の寺を建立する中、この地にもしばらく滞在しました。このとき結んだ小さな庵、「浄土宗建昌寺」が、現在の見性寺の起源です。その後、宝治2年(1248年)、宇都宮氏から分家した多功石見守宗朝(たこういわみのかみむねとも)がこの地に多功城を築くのに伴って、土地を寄進、七堂伽藍(建物)を建立します。そして、宝徳3年(1451年)結城市安穏寺から伝室存的(でんしつそんてき)大和尚を請して中興開山とし、「曹洞宗見性寺」となって今に至ります。現在の住職は、このときから数えて27代目に当たります。

寺院概要

寺院名 星宮山 見性寺(せいぐうざん けんしょうじ)
宗派 曹洞宗
住職名 出井 敦仁(つくい たいじん)
住所 〒329-0524 栃木県河内郡上三川町多功1548
アクセス 【公共機関の場合】
JR東北本線「石橋」駅より徒歩15分
電話番号

0285-53-0808

0285-53-0808

アクセス地図

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